ぼくの自由帳 クエン酸は食えん

酸っぱいものが苦手なので

04と……その周縁?

ROMANTIC SHAKER/伊集院北斗

 

これはあれこれ言葉をこねくり回すよりも伊集院北斗に身を任せた方がいいと思ったので、おとなしくチャオ☆られてクラクラしておきます。しかし最初のチャオ☆は確かに「こんにちは」のチャオ☆なのに最後のチャオ☆はどう聴いても「じゃあね」のチャオ☆なので名残惜しさがすごい。私……今夜はもう離れたくないよ……………………

アイドル歴が長いこともありエンターテイナーとしての力がすごいなあと感じたりもした。そして余裕のある素振りでリードしていると思ったら「受け取って?」「俺を居させてほしいな」と不意にこちらへ決定権を与えてくる。委ねられた選択、受け入れたのは私だという事実……もう言い逃れ出来ない。ああ伊集院北斗の絶妙な駆け引き!しまいには「今日のピアノまだ止まないで」の切なげな表情よ。虜にならざるを得ない。人類皆エンジェルちゃんエンジェルくん。しかしこれでまだ20歳なんだぞ。そんなおかしな話があるか!

酔った状態で聴いてみたいのですがいかんせん酔う前にお酒に飽きてしまうので実現していません。次回はこれまでより度数強めでチャレンジしようと思います。まあアルコールに酔わなくても北斗に酔いしれちゃうんですけどね!!!!!!!!!?!?!???!?!

 

 

Because/桜庭薫

 

桜庭薫の曲を聴いていたらいつのまにかドラマチックスターズの曲を聴いていた……そう言っても過言では無いでしょう?

話は少しずれますが雄馬たそが「桜庭薫という人間」って言い方をするのが好きです。「桜庭薫そのものにはなれないから桜庭薫と一緒にステージに立つ」というスタンスもすごくいいなと思う。あと2ndのとき初めてのソロでいつも一緒にいる2人がいなくて幕が開くまで心細かったというたその話も踏まえてゲーム内雑誌を読むとヒエッってなる。たそは「自分が出来ることは全部薫もできるから薫として歌うときは全力を出さなければいけない」みたいな話をするけど桜庭先生自身もこの歌はかなり必死ですよね。

ライブでこの曲が披露されて、あまりに命を燃やした歌唱に桜庭薫死ぬんじゃないかと本気でひやひやしたのですが、改めて聴いてみてもしかしたら本当に桜庭薫はいまの自分を燃やし尽くすことを少しも厭っていないのではないかと感じました。たとえいま命を燃やし尽くしても何度だって再びここから生まれる覚悟と決意があるのかなあとか……どうですかね。自分が背負って(という言い方は適切では無いかもしれないが)進み続けることでお姉さんのことを絶対に終わりにしない、みたいな?

「理由あってアイドル」のコンテンツで「Because」の題を与えられて、桜庭薫はそこに「I believe…」と続けるんですよ。たいせつなひとを失ったことが理由だったはずの人間が、いまは信じるという気持ちを理由に歌うんですよ。もう届ける先は星空だけじゃないのだ。

 

 

流るゝ風の如く~和敬清寂~/清澄九郎

 

清澄九郎くん……清すぎ九郎!!!!!!!!!!!!!!!!

しかし純和風と思いきやAメロが意外と……ラップではないな、レゲエ?違うか。ヒップホップでも無いだろうし、R&B?えーとえーと申し訳ないことにわたくし音楽のジャンルについての知識が本当に無くておそらくどれも違うのだろうけれど、とにかく現代的でいわゆる和風とはかけ離れたメロディをぶっこんである。それなのに全体として調和がとれていて和のこころが伝わってくるのはまさに彩そのものだ。

彩の3人のオリピはいずれも松井洋平先生作詞ですが見事に3曲とも「皆々様」が登場しましたね。個性は全然違うけど3人ともお客様へのもてなしのこころが一致して一貫している。

話は逸れますがここまでリリースされた分のオリピでは同ユニットアイドルはほぼ同じ作詞家さんが書いてますね。カフェパレで東雲さんが違うくらいか。まあそもそもSideM楽曲は3人の作詞家さんでほとんど書かれているけれど……。

ええと恥ずかしながら突然自分の文章(感想メモ簡易版:765ミリオンスターズin台湾のLVに行ってきたよー! - ぼくの自由帳 クエン酸は食えん)を引用しますが、

そして初めての"ファン"として見るアイマスライブだったりもしました。当然ながらガールズは"プロデューサー"に語り掛けるわけで。ライブをやってステージの上から語り掛ける相手がファンじゃなくプロデューサーって、ライブを見に来て歓声をあげるのがファンじゃなくてプロデューサーって、不思議な構造だよなあと改めて思いました。それがいいとか悪いじゃなくてね。まだあまり思考が深められていないのだけれど……なんだろう、なんていうの……わかりません。不思議だなという話です。

まあこういう話をしていたわけです。いまでもわかりませんとしか言えませんが、なんかそういう感じです。はい丸投げ。(え?)

中の人ライブでなく実際のアイドルたちは当然ステージからプロデューサーに向かって語り掛けたりなんてしないわけですが、とりわけ彩の歌はお客様第一の姿勢をビシバシ見せつけてくるなあすごいなあという話。私もいちアイマスPとして気の引きしまる思いです。

 MCでいちばん印象に残ったのは、繪里子さんの「これからも私たちに夢を見てくれますか、これからも私たち夢を見てもいいですか」というところ。数日前に「アイドルマスターは"永遠"なのか?」というようなことを考えていた矢先だったのでなんかすごく刺さりましたね……。ぐっときた、という意味で。

浅学なものでさっき知ったのですが、M@STERPIECEの歌詞には「NEVER END IDOL M@STER」って隠されてるんですね。最高傑作を生みだして、それでもなお続いていくんだなぁ……。

続きの引用。これとはまた若干ずれる気もしますけれど、永遠の話。九郎くんは人との縁とか移ろいゆくものの愛しさとかを歌っているのですが、アイドルが移ろいゆくものを肯定的に歌うって凄くない?私は凄いと思った。さらに言うといつまでも年齢を重ねないそれゆえ(原理的には)永遠になれる存在、かつそれと同時に正直言えばいつ露と消えてもおかしくなかったはずの存在が「一瞬を永遠に変えて愛おしむ」ことを歌うの重要ポイントすぎる気がするんですが。すみませんいまの私にはこれ以上の言語化は出来ません。

何にせよ九郎くんがアイドルになって素敵な縁を結んでこられたのだと思うととても嬉しいですね。

 

 

フェイバリットに踊らせて/水嶋咲


咲ちゃんを知らない人に咲ちゃんを見せて女の子だと思われる、そして男だと伝えて驚かれるというのをよく聞く。咲ちゃんがカワイイ存在であることを再確認してPたちは喜ぶ。私も。念のため言っておくとそれを咎めたり非難したりという意図は全く無いし、私も咲ちゃんを紹介するとき同じことをすると思う。ただもやもやした気持ちがちょっとだけあるのだ。
水嶋咲のたくさんある魅力のうちのひとつ……とはいえ大きな鍵であろう「男とか女とかじゃなく、なりたい自分になるべくカワイイを追求する姿勢」を感じて貰うには「水嶋咲は男である」ことを知ってもらわなければならないという構造。
一見すると女の子なのによーーーく見ると顔付きや体付きが女の子のそれではないという話も同様に「男だけど」そんなの重要じゃないよね、という文脈に使われたりしていて、私もアイドルは実在というポリシー(という割にはしばしば手放す)を離れて、よくできたキャラデザだなぁと思ったりする。
けどやっぱりそれは、自分の性別に囚われるでも女の子になりたいわけでも無く「なりたい自分」になるという咲ちゃんのカッコイイ生き方は咲ちゃんの性別をもって語られるということになる。なんだこれ。私はどうしたらいいんですか。


さて、ここまでの話は忘れてもらって結構です。
めちゃくちゃキュートな曲。ばっちりオシャレした咲ちゃんが石畳のやっぱりオシャレな街並みをご機嫌で歩いてゆく。でもそれだけではなくて、これはこの子自身が水嶋咲で在れるようにおまじないをかけている歌だ。もっと切実な言い方をしてしまうなら、そっと祈るような。

関係ない話をします。「自由になった王女のように」をきっかけにローマの休日を観ました。私が言うまでもないですがめちゃくちゃいい映画なので観てない人ははやくローマの休日を観てください。いいからローマの休日を観て。Sound of Musicはむかし観ました。My Favorite Thingsって曲がありますよね。だから何という話はしませんしありません。関係ない話おわり。

ひとつひとつ確かめるようにして出来あがった水嶋咲は水嶋咲の居場所の話をする。この上なくしあわせそうに、事実しあわせに。水嶋咲を見てくれる人がいるから水嶋咲が存在していられる。

んーーーーーーマジマジのマジで難しすぎて全然整理つかないのウケるな。これからも咲ちゃんがしあわせな世界を続けていこうな。

 

 

Sanctuary World/都築圭

 

都築さんのことこれまであまりにも遠く感じていたけれど、彼は呼吸をしていて血が巡っている人間だったのだ。こんなにいきいきとした歌がいままであっただろうかと思うくらいに生きる歓びに満ち溢れている。

都築さんは年齢もわからないしごはんも碌に食べないしおよそ生活感のすべても無い。だからいままでなかなか生身の人間として感じられなかった。

でも都築圭の生活はそこらじゅうに溢れていたのではないだろうか。彼にとって世界は音楽そのもので、音楽は世界そのもので。音に触れることこそが食事をとることであり、季節を感じることであり、生命に触れることであり、喜びを感じることであり、悲しみを感じることであるのかもしれない。音楽以外のすべてが他人から見えないのではなく、すべてが音楽だったのだ。そう考えると音楽を失っていた頃の都築圭というのはありふれた比喩ではなく文字通りの意味で死んでいたのかもしれない。

あの歌声と出逢ったことは都築圭にとって世界そのものが息を吹き返したのと同義だった。

「再生」って音楽が鳴りだす意味もあるじゃんと思ったけどそれは録音音声にしか用いられないしreplayだしとにかく完全にこじつけの蛇足だったので無かったことにした。

あとEchoes My Noteと詞が対応しまくっている。前述のとおり……というか言わずともわかるでしょうが作詞家さんが一緒です。ソロ曲の在り方が既にAltessimoじゃん。

 

 

 

 

 ここからは、私がどこに線を引くかというだけの話で何の理屈も根拠も無い(ここまでだってあったわけではない)ので読まなくていいです。

全体として見て、Becauseフェイバリットに踊らせてSanctuary Worldがノンフィクションドキュメンタリーすぎる。一方でロマシェと流るゝは本人のパーソナリティに沿いながらもエンターテイナーとしての在り方が見えたかなと。

アイマスPのあいだでは“キャラクターソング”という言葉が揶揄の意味で使われがちに感じるけれど、私はまあソロ1曲目くらいキャラソンでええやろと思っていた。もっとはっきり冷めた言い方をすると「ソシャゲのキャラクターなんて儚い存在なのだからソロを1曲人格の確立に使うくらい許してやれ」。

"キャラソン"的なものが出るわけではないにしろ実在のアイドルだって一面を強調することでキャラ付けして世に出していくことはあるだろうし、ソロ(の1曲目)を本人のパーソナリティに大きく依ったものにしても現実から決定的に乖離したことにはならないだろうと。まあ飽くまでも私自身の中での裁量でしか無く、広く世間のみなさまにどうこうということではないが。

それがどうだろう、ここまでアイドル本人の人生に対してノンフィクションである楽曲が世に出てしまった!À La Carte FREEDOM♪の実録ファンタジー感(??????)やNever end「Opus」のミュージカル感みたいに私の中でうまいことアレすることは出来ない。だってソロでこんなんやられたらもう実質手記じゃん……。現実のアイドルでこんな曲はリリースされ得ないのではないだろうか?楽曲がアイドルの人生(のある部分)に対してノンフィクションであればあるほど、アイドルの存在そのものがフィクションであることの補強になってしまうのではないか?困ってしまった。

これまでの曲がセーフで今回急に思い悩むのはなぜか、これまではノンフィクションでは無かったのか、そこにどれだけの違いがあるのか、と問われればなにひとつ答える自信はない。本当に申し訳ないが、そしてくどいようだが、いま完全に気持ちの話をしている。なんとなくそう思ってしまったらもうそう思ってしまうほかないのだ。

散々言っておいて結局のところ、全部めちゃくちゃいい曲だ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!結論の出ない悩みなんか放っておいて曲聴こうぜ!!!!!!!!!!!

なんだかんだこの曲の存在する世界を生きられてよかった。

 

はいおわり。